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2012-02-06 (Mon)
少し前ですが、原美術館で開催中の「MY WAY-ジャン=ミシェル オトニエル展」を見てきました。

知人からの情報で気になっていたタイミングで、BSで個展の紹介の放送を偶然見て、どうしても見ておきたくなり。
久々の雨模様の中、御殿山まで出掛けました。





エントランスすぐの展示室にあった、「私のベッド」。


上から見るとこんな感じ。




テレビの紹介番組の解説によれば、色々な素材の変遷を経てオトニエル氏が辿り着いたのはガラス。
その儚さは人間そのもののようだ、ということらしく。

ガラスを使い始めてからの作品は、一見キレイだけど…



「涙」というこの作品。
ある展示室の正面に飾られていた。
「わ~、綺麗~
と嬌声を上げて駆け寄る女の子のグループに強い違和感。

…一見綺麗なオブジェのようなそれに、別の気配を感じたような気がしたのだ。

よく見れば、無数に並んだ金魚鉢のような瓶には、球形の蓋が必ずついている。
それぞれは水で満たされ、色々なカタチのガラスのオブジェがその中に吊るされている。

オブジェは見れば見るほど痛みの象徴に思える。
瓶一つ一つは、人そのもの。
吊るされたオブジェの赤は、傷と血。
満たされた涙の中で、様々な痛みが揺れる。
尖った引っ掻き傷。チクリとしたもの。金平糖のような、イガイガした、痛みの種。



「黒い心、赤い涙」。
これも、感じるのは痛み。


けれど、この後に作られた作品群はもっと大きくて、希望があって、永遠のイメージ。







「一見美しいようで、悲劇や禍々しいものを秘めている」という主題から、「やはり美しく、変わらないもの」への変化なのか。
その変遷は、まるで私自身の心の動きのようでもあり。


「痛み」を「美しさ」に隠しているようで、実はしっかりと「痛み」の存在を現して。
でも、「痛み」や「悲しみ」そのものも美しさも合わせ持っていて。
その美しさこそ、救いや希望に繋がっているのでは…?

最近、悲しみのどん底のような曲をさらいながら、おぼろげに感じていたことでもあり。

悲しいのは私だけじゃない。
そして、痛みも悲しみも、みんな美しく愛おしい。
そんな気持ちにさせてくれる展示は3/11まで。
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