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2013-04-22 (Mon)
数年前から絵本好きです。
子供の頃はそうでもなかったんですけど。

思えば歌手になると決めた頃から絵本が気になるようになりました。
昔は、人よりもどうも強いらしい感受性を持て余して、なるべくそれを抑えるようにして生きていました。
でも「歌手=感受性が豊か」という私なりの構図を受け入れてから、それを開放できるようになったのかもしれません。
心のアンテナをきちんと立てたら、絵本が目に留まるようになったのかもしれません。






「おしゃれっぽきつねのミサミック」さいとうれいこ・著
ISBN978-4-7945-1062-4 C8793 草土文化社


ある方のおススメで手にしたこの本。
色がとてもキレイ!キャラクターがカワイイ!
オシャレ大好きなキツネの女の子・ミサミックが、洋服作りを通じて「創作」を知る・・・。
なんて言うと仰々しいですけど、「夢中になるってこういうことだよね~!」と妙に共感したりして。


fc2blog_2013042208215007c.jpg

お花からイメージしたドレスを着るミサミック。
お花から何かをイメージして作る気持ちは本当に良く分かる!
私のアクセサリー作りに通じます。

全体的に、色が本当にステキなのです。
そして、どこか懐かしい色。
・・・MGMのテクニカラーのような、鮮やかだけどレトロな色です。


fc2blog_20130422082010195.jpg

私が好きなのは、このイラスト。
本筋とは関係ないところにあります。
微笑ましくてカワイイ





ステキ絵本、おススメあればぜひ山内に教えて下さいね!
| アート鑑賞記 | COM(0) | TB(0) |
2013-03-05 (Tue)


公演が決まった時から本当に楽しみにしていた、齋藤徹さん(b)主宰の「うたをさがして」トリオ(さとうじゅんこさん[vo]、喜多直毅さん[vl])にピナ・バウシュ舞踊団の首席ダンサーだったジャン・サスポータスさんが加わる。
乾千恵さんの脚本による、オペリータの序章。

震災をまたいで書かれた脚本は、その影響を色濃く受け、描かれるのは喪失と再生の物語。
あらかじめ予告されていた幾つかの曲目の中に「ひかり しづけき」が入っていた時点で涙腺崩壊決定。
予想通り、かの曲のシーンで号泣でした。





たしか二年くらい前だろうか、銀座のギャラリー悠玄でこのトリオを予備知識なしに観た。
私にとって、いわば初めての「音楽によるアート」体験だった。
否応なく魂に揺さぶりをかけてくるようなうた、音。
あまりの事に涙が止まらず、その後の音楽や表現というものの考え方そのものを変えてしまうような体験だった。





そのトリオに、ジャンさんがダンスで加わる。
私にとって「ダンスの神様」。
身体を使って表現するということの意味を、この人は教えてくれるのです。


いつものように低音から唸るような徹さんのベースは鼓動のよう。
喜多さんのバイオリンが狂おしく、激しく響き、じゅんこさんの菩薩のような歌が包みこむ。
そこにジャンさんが、指先から爪先まで使って踊る、踊る。
これ以上ない哀しみを表情にたたえたかと思えば、激しく跳躍し、見えざる何ものかと組んで踊る。





13曲、75分。
圧倒。
鳴り止まない拍手。
何度も呼び返されるも、「これをやるのが精一杯で、なにも用意してないんです」という徹さんの言葉。
そうでしょう、あれだけのものは魂を懸けないと出来ないはず。





終演後、お客を交えた打ち上げは何とも言えず暖かなものでした。
ダンスのことで、少しスランプに陥っていた私にとって、清々しい元気をもらえた公演だった。
「ダンスの神様」が別れ際にしてくれたハグは、私の福音になりました。





次回、完成型は来年上演予定だそう。
絶対、見逃したくない。

徹さんによる公演後記はこちら
http://travessiart.com/blog/5505/
リーフレットのご挨拶文はこちら
http://travessiart.com/blog/5521/
| アート鑑賞記 | COM(0) | TB(0) |
2012-12-30 (Sun)


年の瀬、これを観てきました。
コントラバスの齋藤徹さんと、舞踏の工藤丈輝さんの即興。年1回・20回シリーズの6回目。
年末にやることが多いそうな。
以前からとても興味深かったのだけど、今年初めて見ることができた。

徹さんがなさっていることなので、どんなアートが観られるかと思っていたけど、そこはもう期待を裏切ることはなく。
息を呑む緊迫と、緩やかさの波。
工藤さんの舞踏は、激しく、美しく、狂気と悲哀を湛えた目が印象的だった。
即興のパフォーマンスを言葉で説明することは不可能だし、「圧倒」「圧巻」としか言いようがないのだけど。

ただ、見終わった後、何となくビル・ヴィオラの映像作品を見た時と似た感覚があった。
何か説明し難いけれど、私の中の湖に、また一つの石が投げ込まれたような。
その波紋が、どんな意味を持つかはわからないけど、水底に沈んだ石は確実にそこに存在していて。

「意味」とはすなわち「言葉」であり、そこに変換される前の「感覚」がそこにある。
「音」「肉体」「感情」「感覚」…すべてを研ぎ澄まして、自分に向かい合うことの大切さを教えてくれる。
…来年もまた、観に行きたい。
| アート鑑賞記 | COM(0) | TB(0) |
2012-07-09 (Mon)


少し前ですが、『アーティスト』観てきました。

アカデミー賞にノミネートされている時からとても気になっていた映画。
なぜなら、映画を紹介するVTRを見る限り、タップダンスシーンがしっかりとあったから。
しかも、サイレントだという。
きっといい映画に違いない、でも地味そうだから賞は獲れないだろうと思っていたら、まさかの受賞。
本当にびっくりした。



内容はとてもオーソドックス。
映画がサイレントからトーキーに変わる頃。
サイレントのスター・ジョージ(ジャン・デュジャルダン)と、ジョージに憧れる女優の卵・ペピー(ベレニス・ベジョ)。
映画の制作会社はトーキーの実験フィルムの制作に成功し、ジョージに見せるが、ジョージはこれを一蹴。
独立してサイレントを自分で作ることにしたジョージと、トーキーの看板女優として名を上げはじめたペピー。


その後のストーリーは伏せますが、奇を衒う展開は特になく、紆余曲折を経て前向きな結末で終わります。




自分がタップダンサーなので、どうしてもタップシーンが気になって観たわけですが、扱いとしては少しだけでした。
が、タップは物語の鍵となる、とても重要なシーンです。
クライマックスのタップシーンは、そこでタップなのか!と思ったらもう号泣でした。



ガラガラの映画館で、ここでこんなに泣いていたのは私だけかもしれない。
多分作品自体がアステアやその周辺へのオマージュで、その辺の時代のミュージカル映画のことを多少かじっていて事情がわかるからかもしれないけれど。


でも、このクライマックスシーン。
ネットでは「タップが下手すぎる」という酷評も見られます。
タップダンス仲間の間でも、やはり同じような声は聞かれました。


確かに半年で仕込んだらしいタップダンスは、ちょっと動きが硬いし、確かに上手くはないかもしれない。
でも、それでもこのシーンの意味は薄れることはないと感じました。


タップダンスは色々なダンスの中でも、ドキドキやワクワクを伝えるのに適していると思うのです。
また、歳をとって運動量が落ちても、その人の魅力を表現できるダンスでもあります。

そういうタップダンスの良さが、このシーンには詰まっていた。
あまり上手くなくても、喜びに溢れていた。
(そして、これは蛇足だけど、設定上もあまり上手いのはおかしい気がする。
ミュージカル映画前夜の話だし、ダンサーの役ではないし。)

ストーリーとのリンクで、その持って行き方が絶妙で、気づいたらワッと涙が溢れていた。
あまりの不意打ちに、声が漏れそうな程泣いていた。



「大衆は声を聞きたがっている。大衆が求めるものこそ正しい」
映画の中で、確かこんなようなことを、制作会社の上長がジョージに告げるシーンがある。
そして映画はトーキーが主流になっていく。
サイレントの映画はガラガラ。


私が観に行った時もそうだった。
確かに平日の昼間だったが、レディースデイだったにも関わらず、館内はガラガラだった。
映画を観にきたお客は、他の館で上映のハリウッド映画に流れていた。
やはり、サイレントの映画はガラガラだったのだ。



でも。
これがアカデミー受賞である。




アートって、なんだろう。
アーティストって、なんだろう。



ジョージはアーティストとしての自分を貫き通す。
彼を救ったのは、アーティストとしての彼を最後まで信じたペピー。


周りに囚われず、信念を貫けば、誰かが見ているということだろうか。
それは作品のテーマであり、かつ、この作品そのものが受賞という形で体現したことで。

上手く言えないけれど、ちょっと元気を貰えました。
劇場公開は終わりつつありますが、機会があればぜひ。
『アーティスト』公式ページ
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2012-03-29 (Thu)


映画「pina ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」を観ました。

2009年に急逝したドイツの舞踊家ピナ・バウシュ。
彼女の足跡を、率いていたブッパタール舞踊団の団員達のコメントと共に綴るドキュメンタリー。


正直、親切な作りの映画ではない。
ピナのことを知らない人にはとてもわかりにくいし、コンテンポラリーダンスに免疫のない人は「???」で終わる可能性もある。

でも、このシンプルな、「ダンスを映すこと」に特化した作りは、素直に感じることを妨げない効果があるように思う。
(実際、最低限の予備知識はフライヤーに書いてある)

3Dでないと映し出せないだろう、ダンサー達の躍動感。
舞台の奥行き、表情、汗。

踊り続けることは、自分を探し続けること。
「踊りなさい、自分を見失わないように」というピナの言葉。


あらゆる表現者は、きっと観れば感じるところがあるはず。
人より上手く見せようとか、一番目立とうとか、そんな事思ってるウチはまだまだ表現の本質からは遠く。
自己表現のための表現は、多分表現ではない。

ダンスだって音楽だって、それは同じこと。
自分の内面は恐いほど表現に表れる。
驕りがあれば、嫌味な踊りや歌になる。
自信がなければ頼りなく見える。
作品を愛していれば、拙くてもほっこりする。
絶対に嘘がつけない、だからこそ「踊り続ける」ことは「自分を見失わない」ことなのだ。


コンテンポラリーダンスの世界はあまりに奥深くて、難解なところも多いのだけど。
ただ、こういう「アート」は時間をかけて何時の間にか自分の中で消化されて、気づけば自分の一部になっていくもの。

二度、観に行った。
同じ映画を映画館に二度も観に行ったのは初めてだ。
なぜか、もう一度観ておきたかったのだ。
そして、やはりそれでよかった。
自分にとって「意味のあるもの」になるという勘には自信があるのだ。


…観ておいて、よかった。
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